ひまわりを、まだ見ていなかった
- Koji TOMITA

- 3 日前
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更新日:2 日前
佐賀市兵庫町・ひょうたん島公園にて
昨日、佐賀市兵庫町のひょうたん島公園へ、ひまわりを見に行ってきました。
公園とその周辺、およそ1.2ヘクタールに25万本のひまわり。7月の下旬から、いっせいに咲きそろうのだそうです。
意外だったのは、その背の低さでした。見上げるものだとばかり思っていたのに、実際には腰の高さほど。私は花を見上げるのではなく、見下ろしていました。
そのかわり、数がすさまじい。腰から下がすべて黄色で埋まっている。一本一本は小さいのに、集まると地面が見えなくなる。写真では何度も見ていたはずなのに、その場に立つと、思っていたのとまるで違う迫力がありました。
【街のすぐ向こうに、この25万本の景色がありました。】

奥にバックネットが見え、電線が横切り、住宅の屋根が並んでいます。特別な場所ではありません。車で通りかかれば見過ごしてしまうような、ごく普通の景色のなかにあります。
私が思い描いていた畑
ひまわり畑と聞いて、私がずっと思い浮かべていたのは、あの映画でした。
1970年の『ひまわり』。ソフィア・ローレンが、戦地から帰らぬ夫を探して、地平線まで続く黄金の畑に立ち尽くす場面です。
そして私は長いあいだ、あの畑をスペインだと思い込んでいました。今回この文章を書くにあたって調べてみたところ、あれはイタリア映画で、ロケ地はスペインでもイタリアでもなくウクライナだったそうです。
しかも、あの美しい畑の下には戦争で亡くなった人々が眠っている、という設定なのだと知りました。
思い込みというのは、こういうものなのですね。
見られなかったひまわり
なぜスペインだと思っていたのか。おそらく、自分がスペインの車窓から見た畑の記憶と、映画の場面とが、頭のなかで混ざってしまっていたのだと思います。
二十年ほど前、マドリードからセビーリャへ向かう高速鉄道AVEに乗りました。車窓の景色が溶けるような速さで南へ下り、乾いた台地を抜けると、アンダルシアの平原が広がります。
ひまわりを見に行ったわけではありません。まったく別の用事があって、その移動の途中に、たまたまこの区間を通っただけのことです。季節も違っていました。
それなのに私は、窓に顔を寄せて外を見ていたのです。
広がっていたのは、地平線まで続く麦畑でした。金色の穀倉地帯。あれはあれで見事な眺めで、しばらく目が離せなかったのを覚えています。
ただ、それは私が心のどこかで待っていたものではありませんでした。
探すつもりなどなかったはずなのに、探していたのですね。あの映画の畑が、自分でも気づかないうちに、そのくらい深く残っていたのだと思います。
こうして私は、海を越えてスペインまで行きながら、ひまわり畑を見ないまま帰ってきたのでした。
もっとも、はじめから見に行ったわけではないのですから、逃したというのも変な話です。ただ、小さな心残りだけが残りました。
東を向いたまま
ロケ地のことを調べたついでに、ひまわりという花そのものについても少し調べてみました。恥ずかしながら、これまでほとんど何も知らずに眺めていたのです。
花言葉は「憧れ」や「あなただけを見つめる」。太陽の方をじっと見つめ続けた娘が、そのまま花になったというギリシア神話が由来なのだそうです。
そして、いちばん驚いたのがこれでした。
ひまわりが太陽を追いかけて首を回すのは、蕾のうちだけなのだそうです。花が開いて成熟すると、動くのをやめて、東を向いたまま止まる。朝日を正面から受ける向きで、それきり動かない。
なるほどと思って、昨日の写真を見返してみました。
ところが、そう単純でもないのです。奥のほうの花はおおむね同じ方角を向いて揃っている。けれど手前を見ると、こちらを向いた花、横を向いた花、うつむいた花が、てんでばらばらに混じっている。
しばらく眺めていて、そういうことか、と思いました。
あの畑には、もう向きの定まった花と、まだ首を巡らせている花が、一緒に立っているのです。同じ畑の、同じ夏に。早い遅いはあっても、いずれどの花も東を向いて止まる。今その途中にいるだけのことです。
若いうちは、光のある方へ、ある方へと首を巡らせる。やがて追いかけることをやめて、一つの方角を指し示すものになる。
そう思って見ると、あの雑然とした畑の眺めが、急にいとおしくなりました。
誰かが植えた25万本
もうひとつ、帰ってから知ったことがあります。
あのひまわりは、勝手に生えているのではありません。地元の農家の方々の協力で、毎年植えられているのだそうです。25万本。
考えてみれば当たり前のことなのですが、現地に立っているときには、まったく思い至りませんでした。
あれだけの数の種を、誰かが毎年まいている。しかも、自分たちが眺めるためではなく、来た人が楽しむために。
そして8月に入ると、そのひまわりは無料で持ち帰ることができます。はさみを持って行けば、好きな花を切って、家に持って帰っていい。
咲かせて、渡して、また来年まく。
私がのんきに写真を撮っていたあの畑は、そういう手のかかった場所だったのでした。
「みちしるべ」でありたい
人生の後半を歩んでおられる方々に、私はこの話をお伝えしたいと思っています。
年を重ねることは、追いかける力を失うことではありません。追いかける必要がなくなるほど、自分の向くべき方角が定まっていくということです。
そして東を向いて静かに立つそのお姿そのものが、まだ首を巡らせている誰かにとっての方角になります。
思えば私は、遠い国の畑ばかり思い描いて、すぐ近くの畑を見に行っていませんでした。しかも見上げるものだと思い込んでいた花は、実際には腰の高さで咲いていた。
憧れていたものは、ずっと手の届くところにあったのですね。
大切なものはたいてい、そういう場所にあるのだと思います。
そして、その手の届く場所に何かを咲かせておくのは、たいてい、名前の出ない誰かの仕事です。あの25万本を毎年まいている方々のように。
私も、皆さまが安心して東を向いていられるよう、その傍らに立つ小さな「みちしるべ(道標)」でありたい。そう思いながら、日々の仕事に向き合っています。
【この一輪は、もう迷っていないようでした。】
ひょうたん島公園のひまわり(2026年)
場所 佐賀市ひょうたん島公園およびその周辺(佐賀市兵庫町大字渕4413番地)
規模 約1.2haに25万本以上
見頃 7月下旬〜8月上旬
料金 入場無料・時間制限なし
持ち帰り 2026年8月1日〜13日、無料。はさみ等は各自持参
駐車場 公園の西側・南東側・北側
混雑 週末の12時〜15時は混み合うため、朝夕の来園が推奨されています
公園は2000年の開園。クリークの形をそのまま残してつくられた公園で、南北約700メートル、一周すると約1.8キロメートル。上から見たかたちがひょうたんに似ていることが、名前の由来だそうです。
当所では、エンディングノートの書き方や、ご家族に何を残しておくべきかのご相談を承っています。


